将来につながる学びに惹かれ、N高を志望。しかし、母親と先生に猛反対される
小学6年の時、事前にしっかり勉強していた漢字テストで悪い点数を取ってしまい、努力することに意義を見いだせなくなってしまいました。しかも、自宅が区の境目にあり、中学校は小学校とは違う区の学校に通うことに。そのため、中学校にはほとんど知り合いがおらず、入部した卓球部内でイジメにもあいました。
中学1年の後半には親に話して「学校に行きたくない」と伝えましたが、「嫌だとはっきり言わない方が悪い」と言われ、気持ちはどんどんなえるだけ。卓球も入部当初は1年生の中で1番強かったのに、頑張ることへのモチベーションがない上にイジメまであり、何事にも身の入らない中学生活を送っていました。
いじめっ子の転校により中学2年にはイジメはなくなりました。しかし、中学3年に進級しても勉強へのモチベーションはなかなか復活せず、受験勉強に身が入りませんでした。志望校も特になく、「みんなは進学するらしいから、自分も同じように進学することになるんだろう」とぼんやり考え、次第に「自分は勉強以外のことを学んだ方が良いのかもしれない」と思うようになっていました。
そんなある日、iPadでなんとなくネットサーフィンをしてたらN高等学校(以下、N高)の広告を見つけました。N高の広告には、動画、イラスト、プログラミングなどいろいろなことが学べ、課題解決型授業もある、と書かれていて、その広告を見た瞬間に「この学校なら将来につながる何かをつかめるかもしれない」と直感し、すぐにオープンキャンパスの予約を取りました。
「N高という学校を見てみたい」と親を説得し、代々木キャンパスのオープンキャンパスに参加。普段学校で教えてくれることや授業の内容を聞くとどれも魅力的で、「やっぱりこの学校しかない」と入学の意志を固めました。
が、大変なのはここからでした。当時、N高の通学コースはまだ開設2年目で進学実績も就職実績もなく、母親と中学の先生から猛反対されました。最初は「進学実績がない学校なんて…」からはじまり、「そもそも通信制高校に行くのがおかしい」となり、プログラミングを学びたいと伝えるとプログラミングが学べる全日制高校を紹介されたほどです。
個人的には通信制高校に対してネガティブなイメージはなく、「不登校になった生徒が行きやすい学校なら良いんじゃない」という感じで、「ということは、中学校に登校できている自分が通えば最強になれるかも!」と極めてポジティブに捉えていましたが、ここまで拒否反応を示されると生半可な覚悟では説得できないと気付きました。
そこで、なぜN高に行きたいのか、なぜN高でなければならないのかを改めて考え、「自分の人生に関わることだから、どうしてもN高に行きたい。3年間で将来につながる何かを必ず身に付ける」と約束し、なんとか母親と先生を説得することができました。
ちなみに、父親は私が進路について真面目に考えたことに感動し、「入学したいならすれば良い」とずっと応援してくれていました。
プロジェクト活動に夢中になり、努力は実ること、自分が成長できることを実感
新入生としてN高の週5コースに入学し、1年目は代々木キャンパス、2年目からは立川キャンパスに通学しました。通信制高校の単位取得に関する勉強はアプリで動画を見て問題を解くレポートが中心です。私はこれを毎年4月中にすべて終わらせていました。かなりの量があるのでもちろん大変ですが、レポートを終わらせると「もうこれから1年間好きなことを学べる」と思うことができ、開放感も味わえました。
そして、N高在学中はさまざまなプロジェクト活動に力を入れました。もともとはプログラミングを学びたいと思っていましたが、実際に教わってみると自分には向いていないと気付いたこともプロジェクトを頑張った理由の1つです。
課題解決型学習の『プロジェクトN』では、企業や官公庁と協力し、課題解決に挑みながら何かしらのスキルを身に付けていきます。例えば、JRの案件では「高架下をどう発展させるか」という課題が与えられ、その解決に向けてみんなでアイデアを出し合いました。発展させるための企画を考え、ロジカルに組み立て提案する。視覚的に訴求できるよう動画をつくったりもします。
中でも思い出に残っているのは、1年の春に取り組んだ自販機の設置プロジェクトです。N高生は夜更かしして自分の好きなことに熱中する生徒が多いので、最も目につきやすい左上にエナジードリンクを置くなど「N高生のために」という目線から考え、キャンパス内の動線も考慮して企画しました。
その結果、キャンパスに自販機が設置され、多くの生徒が利用するように。このプロジェクトがきっかけとなり、自分も楽しいことなら努力できること、頑張れば努力は実ることを実感し、苦手なものでも好きになる努力をするようになりました。
また、プロジェクト活動を通して友達も自然にできます。企画立案、合意形成、アイスブレイクなど、話しているうちに自然と仲良くなり、放課後はみんなで『スマブラ』や『遊戯王』をやっていました。クラスの概念がないので、先輩・後輩とも普通に遊んでいましたね。
自分を導いてくれる人との出会いが人生の糧となり、自己肯定感も上がっていく
N高に入って良かったと心から思うのは、自分を導いてくれる人との出会いがあったからです。
高校1年の担任はとても教育熱心な先生でした。ある時、自分の良くない発言がSNSで炎上し、先生にバレて叱られたことがあります。でも、その叱り方がロジカルで「なぜ良くないのか」を教えてくれ、素直に納得できました。意見の相違があれば建設的に話し合うことは大切です。だけど、超えてはいけないラインがある。そのことに改めて気付かされ、以後は相手の意見に耳を傾け、違う意見でも相手を尊重して対話をするなど、人との関わり方が変わりました。
この時、子どもには教えるだけ、応援するだけではなく、間違ったことに対してきちんと叱り、正しく導いてくれる大人が必要なのだと思いましたし、この出来事から教員の仕事に興味を持つようになりました。
N高の先生には一般企業や学習塾の講師を経験してきた人も多く、高校2年の担任は旅行代理店で働いていた人でした。この先生からはロジカルシンキングと文章の書き方を教わり、根拠を示す重要性など社会に出てから役立つ実践的な学びを教わりました。また、他の先生たちもいつも親身に支えてくれました。
主要5教科の授業がなく、先生とのいざこざがないため、どの先生とも気持ち良く話せる。だからこそ、月に1度の面談もリラックスして臨むことができ、いろいろな先生との対話を通して自己肯定感が上がっていきます。実際、私はN高に入ってからぶち上がりましたし、N高でいろいろな人と出会い、学ぶ中で中学時代にイジメが起きた原因や当時の家族の対応にも納得できるようになりました。
高校時代、唯一懸念していたことは、通信制高校という学歴で道が開けることはない、ということだけです。ただ、その認識は入学時からあったため、N高で何かを身に付けようと必死になれました。
桜美林大学で心理学と教育学を学び、N高のTAとしても活動中
中学3年の時は「どこかの高校に行くんだろうな」となんとなく思っていた私が、高校3年になると「大学で心理学と教育学を勉強したい」と明確な目標をもつようになっていました。これほどの変化が起こったのも、N高で先生たちに導いてもらいながら自分の好きなことを学べたからです。
そして、「心理学と教育学、2つの学問に興味があるならリベラルアーツが良いだろう」と先生に勧められ、桜美林大学のオープンキャンパスに参加。リベラルアーツ学群の内容と雰囲気に惹かれ、総合型選抜で合格しました。
いまは大学で学びながらN高のティーチングアシスタント(TA)としても活動しています。N高のおかげで成長できましたし、立場が変わっても戻ってきたくなる学校です。
N高の卒業生として、後輩には「レポートは適切に進めた方が良いよ」と伝えています。毎年4月に終わらせてもテスト前には内容を忘れていることが多く、復習に苦労したからです。その他、プロジェクト活動のアイデア出しやスケジュール管理など、生徒の自主性を伸ばす形でサポートしています。
大学で心理学や教育学を勉強するうちに、児童や学生に限定せず、「頑張っている人を支援したい」と思うようになりました。ゆくゆくは教員になるかもしれませんが、多くのN高の先生たちと同じように、大学卒業後はまず企業で働く予定です。
頑張っている人を支え、主人公に押し上げる。同時に、自分も主人公でいられるように。そんな気持ちで社会に出たいと思います。
取材日:2024年8月
本記事内で話されていることは、個人の体験や感じ方によるものです。現在の学校のカリキュラムや学習の進め方とは異なる場合があります。
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