フィジーの暮らしになじめず、一時帰国中に食べた牛丼に感動
私は子どもの頃から英会話スクールに通い、英語が好きで海外の学校にも通ってみたいと思っていました。その願いがかなったのは中学3年の冬です。フィジー共和国の現地校に3年間留学できることになりました。卒業を控えた時期でしたが、学校側が配慮してくれて期末テストは免除になりました。先生や友達もみんな応援してくれ、色紙にメッセージを書いて渡してくれました。
留学先にフィジー共和国を選んだのは、長期留学をする上で英語が公用語の国の中では費用が安く、フレンドリーな国民性だと聞いていたからです。現地の高校で、現地の高校生や留学生と一緒に英語の授業を受けることを思い描き、「先生の話は聞き取れるだろうか」「ホストファミリーやクラスメイトはどんな人だろう」とワクワクして飛行機に乗り込みました。
ところが、現地に着くと思い描いていたイメージとはかけ離れた現実がありました。
まず、誰も英語を話しません。確かに公用語は英語ですが、街ではフィジー語を使う人が最も多く、ホストファミリーはインド系だったためヒンドゥー語を話していました。街や家ではこちらが英語で話しかけたら英語で答えてくれるという感じで、渡航初日に「何だか聞いていた話と違うぞ・・・。」と不安になりました。
次に、食事がまったく合いませんでした。学校の食堂は現地の焼き飯やスパゲティ、ホストファミリーはスパイス系が中心でしたが、どちらも合わず私一人だけ断食しているような状態に陥りました。
最後に、陽気でおおらかな国民性からか教室も騒がしく、時間にルーズでした。先生も平気で遅れてくるし、時には来ないこともあったのです。でも、誰も気にしません。社会の授業でフィジー共和国の歴史を学んだ時は、授業を受けてみるも今一つ興味を持てずに過ごしていました。
1月に渡航し、8月には荷物を取りに一時帰国しました。9月の授業再開に合わせてまたフィジー共和国に戻る予定でしたが、帰国してふらっと『吉野家』に入ってしまいました。現地の食事に悪戦苦闘している最中に食べた吉野家の牛丼はとんでもなく美味しく、「牛丼ってこんなに美味しかったのか!」と本気で感動しました。
吉野家の牛丼を食べたら、言葉も、食事も、学校生活も、すべてが思い描いていたものと異なるフィジー共和国にもう一度戻ろうとはどうしても思えませんでした。高い留学費用を出してくれた祖父母や、快く送り出してくれた友達のことを思うと、3年間しっかり勉強して笑顔で帰ってきたかったですが、残念ながらそれはかないませんでした。

「学校に行かない生活」に慣れず、鬱屈した日々
フィジー共和国に戻らない決意をしてからは、日本で通える学校を探しました。母親に相談し、中学の先生に進路相談室で高校のパンフレットを見せてもらい、「同級生と同じタイミングで卒業できる学校」を検討しました。先生や友達が帰国後も変わらず受け入れてくれたことは、とても嬉しかったです。
そして、複数の通信制高校に問い合わせ、高校1年の9月に日本航空高等学校(以下、日本航空高校)の通信制課程に入学しました。普通科の週1スタイルを選択し、余白の時間で英語の勉強を続けようと考えました。
ただ、中学でも留学先でも週5日登校して友達と会うのが当たり前だったため、「みんなは学校に行っているのに、自分は家に居て良いのだろうか?」と思い悩むようになりました。一人で勉強しても身が入らず、少しずつテレビを見たり、ゲームをする時間が長くなっていました。日々の生活に充実感がなく、うつのような状態になりメンタルクリニックに行ってみました。
しかし、クリニックで自分の状況をうまく説明できず、「これは自分で何とかするしかないんだ」と感じ、改めて自分の状況を見つめ直して、生活や環境の改善に取り組んでみようと決意しました。

スポーツを始めてコミュニティに属し、苦境を乗り越える
最初に行ったのは生活に運動を取り入れることです。子どもの頃に入っていたバレーボールクラブに再び参加し、加えてスイミングクラブへ入会することで毎日スポーツに打ち込む時間を作りました。スイミングクラブにはジムやサウナ、カフェが併設されているので、水泳をしない日もジムで筋トレをしたり、サウナでリラックスしています。
2つのクラブに入ったことでそれぞれのコミュニティにも属することになり、いろいろな人と会話をする機会も得られました。すると、次第に自分の置かれた状況をポジティブに捉えられるようになりました。例えば、友達が今の自分の生活を送っていたら、友達に前向きになってほしいから「別に良いんじゃない」と声を掛けるはず。その言葉と優しさを、自分に向けてみようと考えるようになりました。
留学先では「初めての国」という環境の変化に翻弄されるだけでしたが、再び訪れた「週1日しか登校しない」という環境の変化に対しては自分と向き合い、乗り越えられました。環境の変化に対応できるようになったことが成長の証だと思っています。

この経験も、きっと自分の人生の財産になる
中学3年で留学しなければ、きっと友達と同じように全日制高校に進学し、今も通学していたでしょう。友達から部活動や文化祭の話を聞くと、羨ましいなと思います。
でも、留学して半年ほどで帰国し、通信制高校に入学し、うつっぽくなって立ち直り、こんな経験も早々できないだろうと考えるようになりました。今はこの道を歩んだからこそ強くなれたと肯定的に捉えられています。
日本航空高校の卒業後については、まだ模索中です。中学の先生には在学中も帰国後も本当にお世話になり、今も一緒に食事に行くほど仲良しです。先生と同じような中学の先生になりたいと思っています。そのためには大学に進学しなければなりません。 また、これまで勉強してきた英語を生かし、ホテル業界で働きたいとも思っています。卒業するまでまだ時間はたっぷりあるので、勉強もスポーツも頑張りながら将来のことを考えていきたいです。
取材日:2025年2月
本記事内で話されていることは、個人の体験や感じ方によるものです。現在の学校のカリキュラムや学習の進め方とは異なる場合があります。
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